大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和61年(あ)172号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人蒲原大輔の上告趣意は、単なる法令違反、量刑不当の主張であり、被告人本人の上告趣意は、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

所論にかんがみ、原判決の維持した第一審判決の認定事実第三のうち覚せい剤をコカインと誤認して所持した点についての成立犯罪及び右覚せい剤の没収の適条の問題につき職権で判断する。

まず、本件において、被告人は、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する粉末を麻薬であるコカインと誤認して所持したというのであるから、麻薬取締法六六条一項、二八条一項の麻薬所持罪を犯す意思で、覚せい剤取締法四一条の二第一項一号、一四条一項の覚せい剤所持罪に当たる事実を実現したことになるが、両罪は、その目的物が麻薬か覚せい剤かの差異があり、後者につき前者に比し重い刑が定められているだけで、その余の犯罪構成要件要素は同一であるところ、麻薬と覚せい剤との類似性にかんがみると、この場合、両罪の構成要件は、軽い前者の罪の限度において、実質的に重なり合っているものと解するのが相当である。被告人には、所持にかかる薬物が覚せい剤であるという重い罪となるべき事実の認識がないから、覚せい剤所持罪の故意を欠くものとして同罪の成立は認められないが、両罪の構成要件が実質的に重なり合う限度で軽い麻薬所持罪の故意が成立し同罪が成立するものと解すべきである(最高裁昭和五二年(あ)第八三六号同五四年三月二七日第一小法廷決定・刑集三三巻二号一四〇頁参照)。

次に、本件覚せい剤の没収について検討すると、成立する犯罪は麻薬所持罪であるとはいえ、処罰の対象とされているのはあくまで覚せい剤を所持したという行為であり、この行為は、客観的には覚せい剤取締法四一条の二第一項一号、一四条一項に当たるのであるし、このような薬物の没収が目的物から生ずる社会的危険を防止するという保安処分的性格を有することをも考慮すると、この場合の没収は、覚せい剤取締法四一条の六によるべきものと解するのが相当である。

したがって、これと同旨の第一審判決の法令の適用は正当である。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官谷口正孝の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官谷口正孝の補足意見は、次のとおりである。

一1 法廷意見にいうとおり、本件は、被告人において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する粉末を麻薬であるコカインと誤認して所持したというのであって、前者の罪の法定刑は一〇年以下の懲役刑(覚せい剤取締法四一条の二第一項一号、一四条一項)であり、後者のそれは七年以下の懲役刑(麻薬取締法六六条一項、二八条一項)であり、その目的物も覚せい剤か麻薬かの差異があるので、この場合、被告人に対していかなる罪の成立が認められるのか、そしてまた、それとの関係において本件において押収された覚せい剤の没収をいかなる条規によって行うべきかが問われているわけである。

被告人において意図した罪と現に発生した罪との間にそごがある。そして、両罪の構成要件を異にするので、このような場合、学説は一般に抽象的事実の錯誤として論ずるわけである。刑法三八条二項の解釈問題として実務上も問題となる。

ところで、この範ちゅうに属する事例について、最高裁判所の判例は、以下のような歩みを示している(ここでは、最も頻繁に引用される判例のみをあげる。)。先ず、(イ) 暴行・傷害を共謀した共犯者のうちの一人が殺人罪を犯した場合、故意のなかった他の共犯者については、傷害致死罪の共同正犯の成立を認め(最高裁判所昭和五四年四月一三日第一小法廷決定・刑集三三巻三号一七九頁)、一方において、(ロ) 公文書無形偽造教唆行為の共謀者の一人が他の共謀者に謀ることなく公文書有形偽造教唆行為をした場合、無形偽造の認識しかなかった他の共謀者について公文書有形偽造教唆の故意の責任を問い(同昭和二三年一〇月二三日第二小法廷判決・刑集二巻一一号一三八六頁)、さらに、(ハ)[1] 営利の目的で麻薬であるジアセチルモルヒネの塩類粉末を覚せい剤と誤認して輸入した場合について、麻薬取締法六四条二項、一項、一二条一項の麻薬輸入罪の成立を認め、[2] 関税法一〇九条一項の輸入禁制品の輸入罪と同法一一一条一項の無許可輸入罪の関係につき、税関長の許可を受けないで、麻薬を覚せい剤と誤認して輸入した場合、覚せい剤の無許可輸入罪の成立を認めている(同昭和五四年三月二七日第一小法廷決定・刑集三三巻二号一四〇頁)。そして、以上の各判例については、犯人の認識した罪と現に発生した罪とが構成要件を異にするので、抽象的事実の錯誤に当たり、この場合、両構成要件要素の重なり合う限度において故意犯の成立を認めたもので、学説にいう法定的符合説を採用したものである、という理解が一方にある。

確かに、(イ)の判例は、法定的符合説をとった場合十分に説明ができる。しかし、(ロ)、(ハ)の[1]及び[2]の判例の場合は、両構成要件が重なり合う(あるいは実質的に重なり合う)といってみても、(ロ)の事例は、客体が公文書という点において重なり合うとしても、犯罪の構成要素としての主体適格を異にし、(ハ)の[1]及び[2]の事例は目的物が覚せい剤か麻薬であるかの差異があるわけで、両構成要件がいかなる意味で重なり合うといえるのか必ずしも明らかでない。ことに、故意を構成要件要素と考え、あるいは構成要件によって制約されるという考え方をとる場合、(ハ)の[1]の事例について麻薬輸入罪の成立を認めるためには、「麻薬の種類とかその化学薬品名まで認識する必要はないが、素人が麻薬について理解している程度の意味の認識と当該物件が麻薬であることの認識を必要とする」わけで、この場合も抽象的事実の錯誤に当たり、「両罪の構成要件は重なり合っており、法定刑が同じであるので、両罪の軽重は刑法一〇条三項により決めることとなり、覚せい剤輸入罪が軽い罪であるとすれば、被告人が麻薬を覚せい剤と誤認して輸入した所為につき、覚せい剤輸入罪の成立をみとめ、その刑によって処断すべきであろう。」との批判がよせられている。この批判は、右の(ハ)の[1]の判例を同一構成要件における具体的事実の錯誤と解する論者に対する反論という内容となっている。しかし、故意を構成要件要素あるいは構成要件によって制約されるという考え方を徹底し、麻薬輸入罪の故意の内容を論者のいうように厳格にとらえた場合、私としては麻薬輸入罪と覚せい剤輸入罪の構成要件がいかなる意味において重なり合っているといえるのか、そしてまた、その場所処断刑(刑法一〇条三項)の軽いとされた覚せい剤輸入罪の故意がいかなる構成をとることにより認められることになるのか、やはり理解の届かないものがある。

いずれにしても、前記(イ)の判例と(ロ)及び(ハ)の[1]及び[2]の判例をいずれも抽象的事実の錯誤に属するものとして統一的に理解するためには、多くの困難がある。(ロ)及び(ハ)の[1]の判例を具体的事実の錯誤として理解しようとする有力な見解が生ずる所以である。

2 ところで、(ハ)の[1]の判例、すなわち、営利目的による麻薬輸入罪と同じ目的による覚せい剤輸入罪の罪質について考えてみよう。「(麻薬取締法と覚せい剤取締法の)両者は共にその中毒性、習慣性のため個人並に社会の保健衛生に危害を及ぼすことが多い薬剤について、その濫用を取締ろうとするものでその目的を同じうし、且つ、その取締方式においても極めて相似たものがあるのであって、両者別異の法律を以ってこれを規定したのは単に沿革的理由にすぎない」(大阪高裁昭和三一年四月二六日判決・高刑集九巻三号三一七頁)と説明されているように、両罪がその罪質を同じくするものであることは疑いがない。しかし、そのように両罪の罪質が同じであるということから、両罪の構成要件によって制約された故意が同一であるとは直ちに帰結できないし、また、このような意味において両罪の構成要件が重なり合うといっても、両罪の故意の同一を断定するについては、さらに説明を必要としよう。

思うに、構成要件によって制約された故意の内容としては、「構成要件該当の事実の認識ではなく、構成要件の規定する違法・責任内容の認識こそが決定的」である。つまり、構成要件に該当する自然的・物理的事実の認識を備えれば故意の成立に十分というわけではなく、「立法者が禁止の基礎とした違法・責任内容を行為者が認識しなければ故意は肯定し」えないというべきである。このような観点に立って故意を理解する限り、違法・責任の質において同一である(罪質を同じくするというのはこの意味においてである。)二つの構成要件((ハ)の[1]の判例の場合は営利目的による麻薬輸入罪と同じ目的による覚せい剤輸入罪である。)について、同じ法定刑が規定されているときは(右両罪の法定刑は同じである。)、違法・責任の量においても両者は同じである。なお、ここで違法・責任の質、量という場合は、犯罪類型としてのそれを構成要件に即して論じている(以下、この用語はその意味で用いる。)。このように、二つの構成要件を通じて違法・責任の質、量とも同一である場合には、故意の成否が問われる抽象的事実の錯誤の問題を生ずる余地はない。(ハ)の[1]の事例についていえば、犯人において麻薬を覚せい剤と誤認したとしても、故意の成立に影響するところはなく、現に生じた罪が故意に即応したものとして同罪の成立を認めることになる。従って、この場合、刑法三八条二項の適用を論ずる余地はない。私は、(ハ)の[1]の判例((ロ)の判例も同じであろう。)は、この趣旨を明らかにしたものと理解している。ところで、本件の覚せい剤を麻薬と誤認して所持した場合、故意・犯罪の成立をどのように考えるべきであろうか(そして、(ハ)の[2]の判例も実は本件と同一系列にある。)。両罪の違法・責任の質は同じ(前記罪質の同一)である。しかし、両罪の法定刑を比較してみると、前者につき後者に比べて重い法定刑で罰することとされている。従って、この事案では、両罪の違法・責任の量を同じであると考えることは許されない。構成要件相互において違法・責任の質を同じくしながら、その量において異なる場合、抽象的事実の錯誤として、違法・責任の量の重い罪の故意の成立は認められず、軽い罪の故意の成立を認め、その故意に対応した軽い罪が成立するということになる(抽象的事実の錯誤について、このように違法・責任の質と量を導入する見解については、町野朔、法定的符合について(上)、(下)、警察研究五四巻四号、五号参照)。一つの構成要件が他の構成要件を包摂する関係にある(イ)及び(ハ)の[2]の判例もこの場合に当たる。

なお、右の見解に対しては、覚せい剤を所持している場合であるのに、麻薬所持の罪の成立を認めるというのは、余りにも事実と懸隔するとの非難がある。しかし、それは故意を構成要件によって制約されると考える理論からの帰結であり、その懸隔は、違法・責任の質、量の重い罪(本件では覚せい剤所持罪)の構成要件が、刑法三八条二項により修正を受ける結果(同規定は構成要件の修正を認める実定法上の根拠規定と考えることもできる。)、違法・責任の質、量の軽い罪(麻薬所持罪)が成立するという構成で埋めることになろう。

以上の理由で、本件について麻薬所持罪の成立を認めた法廷意見に賛成する。

二 次に、論旨は、麻薬所持罪の成立を認めながら、押収中の覚せい剤を覚せい剤取締法四一条の六の規定により没収するのは背理であるという。そして、同じ理由により、本件の如き場合は重い罪が成立し、刑法三八条二項により軽い罪の限度で処罰するという理論の妥当性を示す根拠とする説もある。

しかし、賛成し難い理論である。覚せい剤取締法四一条の六の規定による覚せい罪の必要的没収は、同薬剤にかかわる犯罪により国が所持し、又は国の所持に帰すべき覚せい剤について、いわゆる対物的保安処分としてその所有権を国庫に帰属させ排害の処分を行う作用である。従って、同条に、「前五条の罪に係る覚せい剤」と規定されているからといって、その「罪」を懲役、罰金等の主刑を科するために必要な犯罪の成立要件(すなわち、構成要件該当、違法、責任)のすべてを備えた犯罪と同一に解する必要はない。思うに、主刑の場合は、人の責任に対応した刑罰であるが、附加刑としての没収は、犯罪を契機として物に対し排害処分を行うものである。主刑たる懲役、罰金等(それは正に対人的処分である。)と、附加刑たる没収(それは正に対物的処分である。)とにおいては、それを科する要件において径庭があっても、必ずしも矛盾、背理ということはできない。主刑を科するための要件としては、前記のごとく構成要件に制約された故意責任を問うために麻薬所持罪の成立を認めたにとどまったわけであるが、そこでは、外形的・客観的に覚せい剤所持罪が社会的事象としてとらえられていたのである。前記四一条の六の規定する必要的没収の要件としての、「前五条の罪」という場合の「罪」の意味は、このような社会的事象としての外形的・客観的形での罪を考えればよく、それこそかえって同条の規定する没収の性格に適合するといってもよいと思う。

このような考えから、私は、本件覚せい剤の没収についての法廷意見に賛成した。

(裁判長裁判官 谷口正孝 裁判官 角田禮次郎 裁判官 高島益郎 裁判官 大内恒夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例